平和祈念展示資料館

東京都新宿区西新宿2-6-1 新宿住友ビル48階
www.heiwakinen.jp/

 平和祈念展示資料館は新宿住友ビルに2000年11月開設(当時は31階でその後、現在の48階に移転)されました。
 館内に入ると、まず、3つの労苦として「兵士」では恩給欠格者の存在、「戦後強制抑留者」では強制労働、「海外からの引揚者」では国内に住む場所がないことなどが書かれていました。そして日本が中国だけでなく、インド、タイ、インドシナ、マレー、スマトラ、ジャワ、ニューギニア、フィリピン、アジアやオーストラリアなどに戦線を拡大し、派兵していたことを再確認することになりました(人口に関する解説はは末尾参照)。
 『戦後70年 特別交流展「知覧からの手紙」〜鹿児島県知覧特攻平和会館パネル展〜』(4月21日〜5月24日)が開催されていて、その写真から「17歳といった若い人が特攻に・・」と当時の日本についてとてもやりきれない気持ちになりました。陸・海あわせて約4,000人が特攻でなくなったとことです。そして私の近親者が予科練で終戦を迎えたと聞いたことを思い出しました。
 ビデオシアターでは「時代を切り撮った男 〜 小柳次一 86歳 〜」を見ることができました(日替わりとのことです)。そして戦時下のメディア操作を思い出しました。
 5月の連休のためか、若い人たちや家族連れも大勢、平和祈念展示資料館を見学している姿を目にし、この面では少し安心しました。館内は撮影禁止となっていますが、体験コーナーは撮影が可のため、以下に紹介します。

(2015年5月4日)


新宿住友ビル
【体験コーナー、写真撮影コーナー】

【人口に関連すること】
 展示資料の年度別陸軍・海軍兵力概数の表によれば、昭和19・20年に総数が急に増えていて「これは・・」です(1945年の人口72,147,000人(男:33,894,000人、女: 38,104,000人)に対して7,890,000人という兵士の総数は男の人口(子供や老人も含む)の約23%となります)。
 戦後強制抑留された人は約57万5千人でそのうち、約5万5千人が命を落とし、帰国は昭和21年から始まったが昭和31年まで帰国できなかった人がいることが紹介されています。1991年、ある先生からシベリア抑留の体験を聞き、現実にあったこととして理解できるようになったことを思い出しました。館内でシベリア抑留死亡者名簿が閲覧できるようになっています。
 一般邦人の引揚者数は3,188,052人にもおよぶこと(昭和20年に満州に居住した日本人は約155万人)など、その数字の大きさを改めて実感しました。シベリア抑留、引揚げ船についてジオラマがあり、想像しかできなかったことがより具体的なものとして理解できるようになりました。

【リンク】