日本郵船歴史博物館で特別展『~洋上のハイテク技術~ ようこそ、「進化する船」へ』が開催中であることから日本郵船歴史博物館へいきました。
日本郵船歴史博物館の常設展示は日本の明治時代以降の海運業の歴史と現在を理解するのに役立ち、日本の海運業の歴史に戦争が大きく影響していることを実感させられました。
太平洋戦争で日本郵船の船舶が軍に徴用され、185 隻を失い、5,312名の船員が亡くなられたとのことです(戦争参加の船員の死亡率は43%で海軍兵員の2.6倍とされます)。しかも徴用された船舶に対する国の賠償補償は
0 とされたとのこと・・。NHK【ETV特集】で『戦時徴用船 ~知られざる民間商船の悲劇~』が2014年2月8日(土) 夜11時から放送で日本郵船歴史博物館で勉強したことが参考になりました。*1
特別展、パネル展示が主ですが、世界最大出力の舶用ディーゼルはWärtsilä 社のRT-Flex96C / RTA96Cで全長27.4m、高さ13.4m、幅9m、重さ2,300ton、出力11万馬力の2サイクルディーゼルであること、二重反転プロペラのこと、ポッド推進システムのこと、空気潤滑システムのことなど、色々と勉強になりました(撮影禁止のため、博物館内の写真はありません)。また、日本郵船歴史博物館のWebサイトから、日本郵船氷川丸のペーパークラフトの印刷データ、飛鳥をはじめてして様々な船舶のペーパークラフトの印刷データがダウンロードできることを知ったのも収穫でした。
:*1: 商船三井(以前の大阪商船)のWebサイトで「船舶維新の今」とする船舶技術を紹介するページを見つけました。なお、商船三井のWebサイトの企業の歴史は1942年から1961年の間が空白となっていました。上記のNHKのETV特集で大阪商船は219隻の船舶と4,759人の船員を失われたことを知りました。
太平洋戦争で2568隻の徴用船が失われ、約6万人の船員が亡くなられたとされます。神戸市の元町駅近くに「戦没した船と海員の資料館」があることを知りました。
(2014年2月7日)
■ 日本郵船歴史博物館
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日本郵船歴史博物館は工事中で仮囲いの中でした |
日本郵船歴史博物館の入口 |
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■ 日本郵船 氷川丸
1930年に竣工し、貨客船としてシアトル航路に就航した氷川丸は御年83歳。徴用され海軍特設病院船となり、終戦までに3回触雷するも日本郵船の大型船で唯一沈没を免れた船舶とのことです。日本郵船歴史博物館の入館に際して日本郵船歴史博物館・日本郵船氷川丸の両施設セット券(500円)を購入したことから久しぶりに氷川丸(横浜市指定有形文化財)に乗船してきました(2008年に船体と内装の修復工事を終えて一般公開されましたが、その修復工事の前に乗船した記憶があります)。
日本郵船歴史博物館顧問の竹野弘之氏の『氷川丸の生涯』がWebで公開されていて氷川丸の歴史を知るのに参考になります。鋲打ちされた船体と塗装作業を見ながら「長く残していって欲しい」と思いました。
(2014年2月7日)
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船体の塗装作業が行われていました |
鋲打ちされた船体 |
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【リンク】
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